お正月はラサで迎える2

何時間寝た後だろうか、今まで感じたことがない自分の心拍音に目覚める。

そのときは本気で死ぬのではないかと思った。隣のコバヤシも少しうなされておりなんかきついよなと言うことで、これが高山の怖さ。起きて意識して呼吸していくと落ち着いていく。

そのまま2度寝後も何度か頭痛や乾燥してたのでのどが痛んで目覚めては水を飲んでを繰り返し7時には起床していたと思う。ラサは北京と同時間だが、2時間くらいの差はあるのでまだ暗い。

ホテルの朝食は5階屋上でバイキング。

実は翌日も朝は体調を崩したので、ここでの写真がないのが残念なんだが、食事は結構いける。

特にポテトは前日の夕飯でもだがラサで外れなし。味の無いお粥ももやしの炒めたのと合わせて味付けたらおいしくなった。心配ながら飲んだ牛乳も普通だった。

そして、このホテルの5階からはラサの象徴ポタラ宮が一望できるのがいい。

10時からガイドさんとそのポタラ宮へ。


朝のポタラ宮

この時期は農閑期で多くのチベット族がこのポタラ宮を訪れるとのことで明らかに多い。夏は観光客で欧米人、アジア人が多いようだが。服を肩からたすきがけしているのが農業、牧畜をしている人たち。

チベットのラサを向いて右から左へ歩いて中に入る。


この階段以降が撮影禁止。この階段が非常に急なのだが、ここを後ろから押してもらわないと上れない高齢の方も訪れていて、チベット族にとってポタラ宮を訪れる意味の大きさを感じる。

中は1000以上あるといわれる部屋の一部を回るルートが決まっている。旅から半月経ち、中で聞いたことはほとんど忘れてしまったが、ガイドのおばちゃんがチベット仏教徒と聞いたことは忘れない。

明らかに漢民族の顔立ちのおばちゃんは話すのは中国語。恐らくチベットへ移民してきた2世かと思うが、ラサに暮らすことで宗教を認めない中国でチベット仏教徒になったのには驚く。

この地でガイドをしてチベット仏教を学び、そしてチベット仏教徒になったというのはチベットチベットらしさがまだ根底で残っているのだと思いたい一例だった。翌日の空港での別れでも感じたのだが。

ポタラ宮の次はジョカンという寺院へ。ジョカンまでの道で今回初めての子供の物乞いに会い、とても心が痛んだ。昼ごはん中にもどこからか子供が侵入してきたりがあった。


ジョカン前での五体投地。この日は雪が舞ってきたがそれでも続ける敬虔な仏教徒がいる。


ジョカンの2階から。このジョカンはそれまでいた迷路のようなポタラ宮よりはもちろん小さいが、それでも多数の仏像が中に納められている。


ジョカンの3階から。ポタラ宮が見える。

ここで今日のガイドは早くも終了。個人的には15時の問答で有名なセラゴンパなど行きたかったが、予定のコースなのでここで終了。


回りのバルコルという市場を歩き、温まるべく入った店にも猫が放し飼い。この店は完全に観光客向けを感じるきれいなお店であった。

あまり温まらなかったということでチベット料理を食べに昼ごはんへ。


羊の足を焼いたもの。臭いはないのだが、脂がきつい。その他ではコロッケはポテトということでやはり外れなかった。

それでも温まらず、一度ホテルへ帰って休むことに。この日は時おり雪が舞い、本当に寒くて足先から冷えた。


休んでから訪れた夜のポタラ宮

このときポタラ宮のてっぺんには中国国旗が刺さっているということを知る。朝は気づかなかったが。。スーパーマリオじゃないんだからと悲しくなる。

ポタラ宮前の広場にも国旗が立っていて、それを守るように公安がある。事前に読んでいた本ではポタラ宮の回りはチベット族ではなく、漢民族風の民家が並ぶとあったが、実際は民家もなくそこは近代化した街であった。


前日と同じ店で夕食。ラサのケーキ。

この日はコバヤシの28歳の誕生日。ラサで誕生日とかなかなか経験できるものではないなと思う。

昼の時間が遅くて、また脂っこいものが多かったのもあり、ケーキ以外ほとんど食べず。次第に体調が悪くなり、そしてこの日の夜もうなされるのであった。